うごめくコンテクスト・躍動する建築のテロワール 2020.2

Original Text (English)

丘の都市カンパラ

首都カンパラは丘の連なる都市である。
ドイツ人建築家のエルンスト・マイ(Ernst May : 1886-1970)は1945年にウガンダの宗主国であったイギリス政府から任命され、カンパラ都市拡大計画案(Kampala Extension Scheme)を策定した。当時人口2万人の都市が受容人口を倍増することを見込み、約4万人が住める都市としての計画であった。イギリス人を中心とした欧米系、インド人を中心としたアジア系の居住地域と、労働者階級としてのウガンダ人を中心としたアフリカ系の居住地域を明確に分離するなど、大きく10の地域に分けた。地域を分ける計画は、丘が連なるカンパラの地形に合わせた自然な結果である*とマイは語っている。マイはエベネザー・ハワードの提唱した田園都市論(Garden city of tomorrow)の影響を受け、フランクフルト、ソビエトなどでも同様のマスタープランを策定している。

カンパラの人口は、現在すでに150万人を超えているとされ、マイが策定した計画の想定をはるかに超えた。現在も丘の名前に基づいた地名や施設名、地形に沿いながら緩やかに分離された地域の特徴は引き継がれていて、駐在員をはじめとした欧米人が多く住む地域、ソマリア・スーダンなど周辺国からの移民が多く住む地域など、それぞれの特徴は街並みにも現れている。

建築基準を示す法律は1962年の独立以降ほとんど改訂されておらず、建築を強く規定するような明確なルールはない。ルールがないために起こる問題は多く、建築のプロジェクトが工事途中で止まることも日常茶飯事だ。また、道路や土地利用の明確な計画もない。個人や王国所有の土地に簡易な図面の承認のみで建築可能なため、土地の境界線の明示が曖昧なケースが多く、それによるもめごとや衝突も耐えない。建築を設計する立場としては、想定通りいかずに困ることも多いが、一方で、ルールが曖昧であるが故に生まれる余白があり、その余白や隙間が、新たに都市に流れこんだ庶民の居場所を確保していることも事実である。

現在、急増する人口を受け入れる首都は激しく変化している。
マイを中心に欧米主導型で明確に棲みわけされた都市計画を踏み台にして、多様な人種がそれぞれの居場所を自らつくり、ひしめき合って暮らしている都市は、「これまでにない都市」として空前絶後の人口増加を受け入れる器として機能するだろうか。

Ernst May策定のKampala Extension Scheme

オールドカンパラの様子 (写真:Timothy Latim)