Learning from Uganda -建築士2020.12月号
カンパラ郊外、ナンサナ市上空のドローンでの撮影。中央下が地域の小学校のプロジェクトTERAKOYA (設計:小林一行+樫村芙実/TERRAIN architects)
建築や都市は様々な計画から成り立っている、と思っていた。しかし2020年、世界中で「計画」という言葉が揺らぎ人々が悩んだ年にあって、ウガンダで初めて仕事をすることになった時、なにもかもが自分の計画通りにいかないことに呆然としたことを思い出している。
最初に頭を悩ませたのは敷地に関することだった。土地の所有を示す敷地図(Land title)を元に土地の売買は行われているが、その境界は曖昧なことが多く、バナナの木が生茂る畑で「あの木からあの木まで」と言われ唖然としたこともあった。役所の策定する計画を上回るスピードで増加する人々が家を建て、道路がつくられるので、一見もっともらしい敷地図の敷地内に大きな道が通っているということも頻繁に目にする。その結果、建築の現場では工事が始まってから近隣や役所の人々がそれぞれの権利を要求してくることになる。お互いの主張を押し合いへし合い調整して適応させていくしかない状況は、計画していた側(つまり私)からすれば大迷惑なわけだが、実はそのどうしようもない変更や調整をなんとか考えて即興的生み出したアイディアが結果的によかった、ということも経験した。顔の見えない人がつくった基準や計画を推し進めるよりも、鬼のような形相で文句を言ってきた近隣のおばちゃんと話を重ねれば(面倒で時間がかかることだが)その結果おばちゃんを笑顔にすることができるし、少なくとも彼女にその建築に対する親しみを感じさせることができる。それはその建築の未来にとっても重要なことだった。
TERAKOYAの前の道の様子。舗装されるという計画が15年間何度も始まってはたち消えて今に至る。子どもたちがタイヤで遊ぶ姿がみられる。
こんな経験を重ねるうちに、自分の計画どおりに進まず悩んだのは、計画が実現することが当たり前であると勘違いしていたからだと気づき始めた。周りを見渡すと、自分に降りかかる予定不調和な数々の出来事を、まるでコントでも見ているように笑い飛ばすウガンダの人々がいる。おもえば世界は私たちがコントロールできないことで溢れ、変化しないものはない。「計画どおりにいかないこと」を計画の中に組み込んでいくこと、ウガンダという地で育まれた知恵の一つだと思う。
「途上国」「後進国」など欧米や日本と比較して遅れている状態として表現されるアフリカ諸国。経済的な指標や、私たちが当たり前のように享受している都市の公共インフラ・法律などが未整備という側面からそう評されるが、携帯電話によるオンラインでの送金システム、SNSでのコミュニケーションなど少なくとも日本より先んじて広く普及したものも多く、様々な分野での技術発展も目覚しく、失敗を恐れない試行錯誤は着実に歩みを進めている。東京のような都市で私たちが失ったかもしれない何かを見出すこともあるし、私たちが見たこともない未来を感じることもある。うごめく様々な状況の中で郷愁にかられることなく、新しい建築や都市がどうあることが豊かで楽しいのか?都市とは何か?この地から学んでいきたい。
TERAKOYAの作業中、携帯電話を確認する大工。