アフリカン モダニズム2 -建築士2020.11月号
表紙:マケレレ大学ミッチェルホール(Mitchel Hall at Makerere University), 1963年, Norman and Dawbarn 撮影:Timothy Latim
ウガンダ独立前後に建てられた良質なモダニズム建築が、今ようやくスポットライトを浴びようとしている。その多くが首都カンパラにある国立マケレレ大学のキャンパス内に現存する。マケレレ大学は1922年に技術学校として開校し、英国の植民地時代に東アフリカ大学の一校として認められた。総合大学で、工学部には建築科(Department of Architecture)もあり、国内に300人ほどいる登録建築士の多くがこの大学の出身者だ
私にとっては2003年に聴講生として学んだ大学だ。当時一学年15人程しかいなかった学生とともに低所得者層のためのローコスト住宅の課題に取り組んだ。使われるレンガの数を計算したり、模型をつくるための専用の材料などないため石鹸をカッターで切って周辺の建物をつくったりと日本の大学との違いに刺激を受けた。そんな思い出とともに深く印象に残っているのが工学部の校舎だ。強い日差しを避けるようRC造の無骨で工場のような外観をもつ校舎内に入ると、明るい外部とのコントラストもあって驚くほど暗く、すれ違う学生の顔も認識しづらいほどだ。奥に入っていくと徐々に重厚なコンクリート打放しの壁面が見えてきてランダムに嵌め込まれた有孔のコンクリートブロックから光が差し込んでいる。教室は入口と反対の西側に配置されていて、教室にたどりつくと対岸の丘を見渡せるようなガラス窓が並び、その開放感にいつもはっとさせられた。単純なラーメン構造のグリッドでありながら、自然光をコントロールした明暗のコントラスト、傾斜地をうまく利用した天井高の操作、吹き抜けを使った空間のつながりなど、味わい深くドラマチックな建築だった。名作だと信じ、誰が設計したか、いつ建てられたかを学生たちに聞いてみたが誰も知らない。図書室に行っても図面や文献は見つからず、唯一の情報は「独立前後にイスラエルの会社が施工し、ワッフルスラブなど当時欧州で流行していた工法を実験的に多用して建てられた建築らしい。」という若い講師の話だった。いまだに誰がどのように設計したかはわからない
マケレレ大学工学部校舎内部、教室の様子。右(西側)の窓からは緑豊かな丘が一望できる。
キャンパス内には校舎のみならず、いくつかの学生寮があり、地方から難関をくぐり抜けて入学した学生たちが生活をともにしている。これらの寮も独立前後に建設されたものが多く、魅力ある建築たちだ。その一つのミッチェルホール(表紙:Mitchel Hall)は男子寮で1963年に設計されたという記録が残っている。建物の名称は植民地時代の総督フィリップ・ミッチェル(Philip Mitchel)に因んでつけられたという。折れ屋根が特徴的な大空間はもともと食堂だったようだが、現在は講義室として使われている。管理が行き届いているとは言えず、おそらく十分なメンテナンスも長らくされていない。だが、50年の間に学生たちがその時代に合わせて使いこんできた歴史と、強い日差しをやわらかに内部に取り込む開口、重厚な建材の質感が独自の魅力を生み出している。教育や様々なシステムが英国、欧州を土台にしてきた地域だが、年月をかけて地域の特徴と馴染み、独自のものを生み出してきた。図面、記録が十分に残っていないことも相まって、文字どおり「隠された名作」であるこれらの建築が、これから光を浴びて強い魅力を放とうとしている。
マケレレ大学工学部外観、ランダムに嵌め込まれた有孔コンクリートブロック壁とワッフルスラブが現された天井。上部は校舎入口へのブリッジになっている。