人がつくる建築 -建築士2020.08月号
表紙:地元の焼成レンガを積む職人。
モルタルのジョイントは12mmの鉄筋を使って整える。
撮影:Timothy Latim
人手不足・職人不足がさけばれて久しい日本では、建築従事者の高齢化も進み、街中の現場では外国人労働者の姿も多くみられるようになった。さまざまな工程において分業化/機械化が進み、できる限り少ない人と時間で建築をつくることが「正しい」という空気が漂う。
やま仙 / Yamasen Japanese Restaurantの大工工事の様子 (撮影:Timothy Latim)
対照的に、人口爆発只中で若年労働者の溢れるウガンダでは、何から何まで人の手に頼ることが前提だ。掘削一つをとっても、重機を使えば一日で終わる作業も、筋肉隆隆の男たちが鍬をもってひたすら掘り続ける。10人で10日間かかっても、重機のレンタル・ガソリン・ドライバーの人件費等を考えれば、人力の方がはるかにコストを抑えられるからだ。大工工事、その他の工程においても、重機のみならず機械を使うだけでコストが上がる。それどころか効率を求めて重機を手配したのに、扱う運転手の技術が低く、施工済部分や周辺の壁をあっけなく破壊するといった嘘のような出来事もよくある。その点、人の手で毎日少しずつ施工していく方法はまさしくトライ&エラーの繰り返しではあるが、結果的に効率の良い「正しい」方法だったということは多い。また、分業化/機械化からは縁遠いため、自分たちの手でなんでもやってみる、なんでもできるという気概が生まれるのかもしれない。北部の田舎から出稼ぎに来たモーゼスもそんな気概のある大工だった。頼めばとにかくつくってくれる。手間のかかる仕事を淡々とこなしてくれ、ありがたかった。もともと家具職人として私たちと出会い、細かい注文にも快く手直しをしてくれる心強い一人で頼りにしていたが、そんな彼も時間や酒にルーズで、突如連絡がつかなくなった。
すべての物事が時間通り、予定通りに進んでいくことが当たり前の社会にいると、進まない現場やトライ&エラーを繰り返す日々に苛立ち、無駄であると切り捨てそうになる。しかし、ゆっくりと微調整を繰り返し、改善していきながら建築をつくることで見えてくること、実現できることも多々ある。熟練した技術を持つ職人が少ない中、現場で小さな作業を繰り返し行うことで工事中に職人たちの技術の向上を見ることも少なくない。また時間がかかることで、材料の特性やうまくいっていない箇所を発見し、施工しながら改善できることも多い。
トライ&エラーは傷や形として残り、竣工時にはまっさらな状態ではなく職人たちの手垢のついた建築となる。予定通りにも完成しないので、まだ工事が終わらない状態で人々が使い始めることもあり、もちろん問題も起こる。しかし、この予定不調和な建築は、竣工という区切りが始まりでも終わりでもなく、一通過点であるということを、様々な「正しさ」を超えて気づかせてくれる。
前述のモーゼスは、他に良い仕事が見つかったのかもしれないし、酒に溺れているのかもしれない。また僕たちと仕事をする日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。確実なことはひとつもない。
モックアップを作り、天井の高さを確認する大工のモーゼス。
写真・文:小林一行
表紙写真:Timothy Latim
出典:建築士 2020.08月号